人はなぜノウハウを教え合うのか?

突然ですが、独自のノウハウを教えてほしいと聞かれたら、みなさんは何と答えるでしょうか? 私の場合は答えにとても戸惑います。今回はノウハウを教えるか否かについて触れてみたいと思います。

現像の勉強会にいってきた

私は趣味で写真を撮っていて、撮った写真からRAW現像(=写真の調整や意図とする雰囲気に仕上げるデジタル処理)を行っています。

先日は現像ツールである、Adobe LightroomとPhotoshopのRAW現像の勉強会でした。主催者のMasato Mukoyamaさん(=東京カメラ部2016写真展 in Hikarie出展)より、Lightroomの基礎的な使い方や、RAW現像する理由までとても分かりやすく解説されました。

Raw現像セミナー

その後で、私の方からも、ポートレートやスナップ写真を撮影されている方からご好評いただいてる、フィルム風現像の一部についてご紹介しました。こちらは、4年ほど独自に模索し続けているRAW現像表現の話題です。

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HOLGA HL-N + A7R2 | _DSC5178.jpg
 HOLGA HL-N + A7R2 | _DSC5178.jpg  photo by tea ©

ノウハウを教える事に対する葛藤

本題に戻ります。

日頃は、一つの表現として個人で楽しんで頂けたら嬉しいという気持ちと、アイデンティの喪失や、セミナーの題材にされないだろうかという懸念の気持ちが、半々となって葛藤しています。

自分自身、狭い心の持ち主だと思ってるのですが、共有したい気持ちもありながら、全てを話すことに悩んでるのが実情です。過去の経験談になりますが、ポートレートを生業としている方に教えた結果、セミナーの題材や、その方を慕ってる周囲のカメラマンにノウハウが伝搬してしまった苦い経緯があります。

伝えた考え方がオリジナルであっても、受け取った側が多少でもアレンジを加えてしまえば、「それはオリジナルだ」と言い切られてしまうケースがあるのです。

その時の正直な感想を言うと、役に立てたというよりも、時間がたつ毎に悲しい気持ちとなりました。

現像会の当日に、話を伺ったエピソードの一つですが、フォトグラファーの間では、ノウハウを共有するという文化はごくごく珍しいケースのようです。自分の世界観を模索し続ける写真家の間でも、それが一般的だと思います。また過去に、慕っている写真家の方々へ問いかけても、やはり同意見でした。全身全霊で取り組んでる方ほど、そうだと思います。表現はその人の哲学がにじみ出るもの。だからこそ表現は、写真から読み取って欲しいというのが内心です。

ノウハウは教え合うべきなのか?

ただ、今回の現像会や過去の出会いの中で、自身が勉強させて頂いてる事も多く、新たな楽しみ方も増えました。また時間を掛けて情報収集や試行錯誤を行った内容を、その場で教わるという事に、心底 感謝の気持ちになりました。

ノウハウを共有し、その結果喜んで貰える方がいるという事は幸せなことだと思います。写真は見せ合うよりも楽しみ方を共有し合ったほうが、何倍も幸せなのかもしれない…今日はそのように感じました。

…という事で、常に性善説(オープン)と性悪説(クローズド)で揺れ動いている訳なんですが、答えはハッキリと分かりません。今後もそうだと思います。

オープンソースは芸術分野でも通用するか?

話は変わりますが、ITの世界では「オープンソース」という文化が根強く定着しています。自分もこの文化に助けられている事が多いのですが、助けられながらも、その寛容な考え方に対して全面的には理解ができない部分があります。

こんな記事を読みました。

ミトミネ農場
農業の世界でオープンソースな技術が少ないシンプルな理由

tehepero note
何故技術やノウハウをアウトプットをするのか

abebetaroの日記
その道で食べてる人が自身で得た技術を他人に教えたりしているのはどういう気持ちなんだろうか
上記の記事に対する各者のご意見も参考になりました。

これは果たして、芸術方面でも同じことが言えるんでしょうか。みなさんは、これについてどうお考えになりますか?心のなかで想像して頂ければ幸いです。

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(お知らせ)誌面に掲載されます

2/24に発売される「 みんなのPhotoshop RAW現像教室 - 著:大和田 良/インプレスブックス 」にて、過去に提供した作例2点が掲載されることになりました。

レタッチに関する書籍ですが、多彩なレタッチ表現が見られる内容となってますのでぜひご覧ください。

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ゆるふわポートレートや自然風景をのんびり撮影しています。その他の趣味は音楽制作とメダカの鑑賞。 詳細